2004年10月01日
二重写しの現実
前にも触れたが、漱石のなんかの小説の中で、主人公が「文字をじっと見ていると、わけのわからないものに見えてくる」みたいなことを言っていた。
文字を見るとき、実際の感覚から得る映像と共に、頭のなかにある文字のパターンを人は見ている。世界は常に二重構造だ。じっと見ると、感覚から得られる情報が多くなり、相対的にパターンから得られる情報は割合が減る。それによって「文字」として見えずに「画」として見えるようになるから、わけのわからないものに見えてくるのだろうか。(仮説連携のため聞き流しください)
「よく見れば 薺(なずな)花さく かきねかな」とは芭蕉の句だが、小さな花を発見したよ、というだけの句だともとれるし、漱石の例のように、パターンを取り除いた状態で花を改めて見たよ、と言っているともとれるかと思う。
投稿者 mtaniguchi : 2004年10月01日 15:09
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コメント
宿題中に漢字ドリルの漢字が不可解な図形に見えてしまうことが屡々…
投稿者 4B3 : 2004年10月03日 12:12
自分は英単語を「画」として覚えていたように思う
そりゃもちろん発音からスペルを推測することもあったけど、英単語のカタチを覚えて、それを元にテストとかで書いてた気がする
ということは自分は英単語を文字として認識していなかったことになり………あれ?
投稿者 いつも楽しく読んでマス : 2004年10月02日 17:21
ひらがなの「む」をじっと見てて、そんな感覚に囚われたことなら何度か(^^;)
投稿者 case K : 2004年10月02日 08:35