あともどりのできない瞬間
みのもんたが、ある女優と対談をしていた時、女優がワインを飲もうとする瞬間にきわどい質問をしていたと言う。
なにかの行為をしようとする瞬間、人は無防備になる。
武道でもカウンターが上手く決まるのは、相手がなにかをしかけようとして後戻りができない瞬間にこちらの技がはいったときだ。
格闘技と同じく、話の世界でも同じようなことが行なわれているのだろうか。
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みのもんたが、ある女優と対談をしていた時、女優がワインを飲もうとする瞬間にきわどい質問をしていたと言う。
なにかの行為をしようとする瞬間、人は無防備になる。
武道でもカウンターが上手く決まるのは、相手がなにかをしかけようとして後戻りができない瞬間にこちらの技がはいったときだ。
格闘技と同じく、話の世界でも同じようなことが行なわれているのだろうか。
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Rカンパニーの「メトロに乗って」を見てきた。
話の骨格がよくできていて面白かった。
終戦後の闇市のシーンが臨場感がありよかった。
しかし
劇団四季は輸入ミュージカルだけど、オリジナル
のミュージカルを作っていくRカンパニーの姿勢
には頭が下がる。
最初に悪人だと思っていた人が、実はそうでは
なかった、という展開は、劇団四季の「ウィキッド」
を思い出した。
しかしこの構造は、古典的な昔話「泣いた赤鬼」も
同じであり、この三者に共通する骨格はなんだろうか、
と考えていた。
「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」
茂木さんも書いていたが、「バカは死ななきゃ直らない」
というセリフは、冗談の言葉ではなくて、部下が死んだ
ことを知った清水次郎長が悲しんで言った言葉であるこ
とを知ったときに感じる一種の感覚。
悪だと思っていたのが実はそうではなかった、バカだと
思っていたのが実はそうではなかった。
このようなくつがえしが物語に何度も現れるのは何故か。
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もう直りかけだが風邪気味で動作がヨボヨボして
頭がボーとしている。
うまくいえないが、ヤギになったみたいな感覚。
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公立の小学校にいたから、
私立の給食が豪華だとはしらなかった。
なんか、
ご飯とうめぼしだけの日があったが、
あれは公立ならではか。
ベタな給食の法則 -Chakuwiki
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トシBさんによる、秋田県男鹿地方の風景です。

決してクリスマスをひがんでやっているわけではありません。
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宝くじの販売所でよく「この店で1億円があたりました!」
と書いてあるとこがあるが、そうであれば、さらに客が
増え、さらに「その店」から当選者がでる確立が増え、
またさらに「当たりました!」の肩書きが増える。
よって宝くじの販売店の売上額は、
奇妙な分布をしているのはないだろうか。
んなことはないのか。
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顔出し無しの歌手とかいてもいいのでは。
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映画「エンジェル」を見た。オゾン監督の映画は、人のことをまるで考えない人が主人公を愛情をもって撮っていて好きだ。今回も、自分の妄想に生きる小説家の人生の話。
この主人公は他人の感情に鈍感だが、書く小説は売れる。というのは、自分が満足できる妄想をリアルに思い描けるから、読者もその臨場感でその世界に入り込める。しかし妄想が強い分、結果として現実の人に対しては鈍感になる。
このような、天才だが鈍感だ、というのは、鈍感だから妄想がリアルに思い浮かべられのだから、鈍感とこの種の才能はセットだ。しかし鈍感なので、だんだんと孤立していくことが多い。
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差分だけを集めた差分辞典が欲しい。判断に迷うときは、選択枝が似ている場合が多いので、その差分だけを教えてくれる辞典。
例えば、「マクド」と「ロッテリア」のどこが違うのか?
友人に聞くと、「ロッテリアのポテトの方がサクサクしてる」んだそうだ。
または、男性がセクハラと思っていないが女性がセクハラだと思っていることとかでも。差分だけの辞典。
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ストレスが多い方を見ると、見えている世界は
自分の脳内現象なんだと、脳内ひきこもり
を一時的にするといいのでは、と思う。
唯識論も一種のひきこもりメソッドのような気がする
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カヤックの柳澤さんによんでもらい、
カヤックの新オフィス見学と「DONBURIカフェ」のオープニングパーチーに行く。
オフィスはすごかった。
パーチーはクリエイターな髪型の人がいっぱい。
一方私はジャージで体育教師みたいな格好で
演歌歌手のような髪型だった。
どんぶり屋は、
実は私も将来やろうとしていた事の一つだった。
やられてしまったので、別のことをやるしかない。
フナ寿司カフェ「BIWAKO」とかいつかやろうかな。
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音のうるさい人に、自分のうるささに気付かせる
道具、「やまびこ君」って案をむかしだしたけど、
本当にだれかつくらないかなこれ。作ってみようかな。
仕掛けは簡単で、マイクで拾った音を、若干時間
ずらしてスピーカで鳴らす。
なので、うるさい人が、自分の音をあらためて聞き、
うるささに気付く。
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いろいろと撮りたい映像があるんだけど、
撮影技術と編集技術が皆無なので
映像作家探し中。
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見た夢の奇天烈さを競う場をつくりたい。
関係ないが、
私の夢には最近和田アキ子が頻繁にでてきて、
そのショックで起きてしまい困っている。
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子供がなぜキティちゃんとかの絵に反応するのか、と思ってたけど、子供は世界を脳内の出来事として主観的に、情報的にとらえていることが多いからからかな、と思った。
脳内現象としてのとらえかただと、自分も人も絵も情報という意味では等価だ。なので、絵にもリアリティがある。
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夢は、意識のうえにまた違う意識が立ち上がっているように感じるけど、なぜ立ち上がるのだろう。夢では、体は眠っているのに、どこかに自分が立っている。意識は、自分が1秒後も自分である、という同一性が基盤にはなっているのだろうけど、「ここにいる」という位置は、最も同一性の基盤ではないか。「われ考える、ゆえにわれあり」という前に、「われここにあり」ということで存在は疑えないのではないか。このような身体が位置をもっていることが、意識に関係してないのだろうか。よくわからない。
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すれちがいざまの女性が、「104の番号案内の人を口説く男って最低」と言っていた。んなやつがいるのか。すれちがいに聞く会話は、脈絡がなくて好きだ。
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