夏目漱石の影としての坊っちゃん
音楽座ミュージカル/Rカンパニーの次回公演、
「アイ・ラブ・坊っちゃん」のチケットプレゼント中です。
昔のバージョンをみましたが、夏目漱石の内面をよく描いています。
ところで、悲しむほど楽しいことはないと思う。
楽しさの量は、自分が過去経験した悲しみとのギャップに影響される。
なので、悲しみが深いほど、ハイになりやすい。逆もまた同じく。
躁鬱病という、極端に明るくなったり暗くなったりする病気は一見
不思議に見えるが、とても暗い状態から気分がよくなるからとても
明るくなるのであり、逆もまた同じなので、よく考えればまっとうな働き
で上下している。
「善人とは、夢のなかで悪い事をする人である」と言ったのは誰だか
わすれたが、気分の相対性と同じく、人の性格は、その性格と反対の
性格を内面にもつことでできていることが多い。
ある性格は、特定の性質を抑圧することで成り立っている場合が多い
と思うのだけど、抑圧された性質はグループとなって、別人格として
夢のなかにあらわれたり、日々の行動のなかにふとあらわれたりする。
このへんのテーマは、ゲド戦記の原作(映画の方は違うけど)や、
名著「影の現象学」によく描かれている。
自分と反対の性格をどう生かすか、というやり口は人それぞれで、
純愛小説を書く人があってみるとエログロ大好きだったりするのは、
自分と反対の人間を、小説等の作品で昇華させようとすることが多い
からだと思う。二重人格者になるものもいれば、夢ですますものも
いれば、自分と反対の人と結婚するものもいる。
夏目漱石は、「坊っちゃん」の登場人物で、赤シャツこそ自分だ、
と明言しているが、それは実際の夏目漱石に近いのは赤シャツだ、
といっているだけで、夏目漱石のもう一つの性格、反対の性格が、
坊っちゃんそのものなのだと思う。坊っちゃんを内面に秘めながら、
赤シャツ的な態度をとる夏目漱石。
「アイ・ラブ・坊っちゃん」では、そのへんがよく描けている。
夏目漱石は、東大の教授を辞して当時のベンチャー、朝日新聞に
転職しているが、これこそ「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばか
りしている」という坊っちゃんそのものだ。前述の「影の現象学」では、
こういった行動は「影の反乱」、つまり自分の反対の性格が、突然
表にでてくる行動だという。
夏目漱石の人生を見ると、赤シャツと坊っちゃんのあいだをいったり
きたりしているように見える。その辺を自分でも冷静に観察していた
らこそ、一つの作品に、別人格として自分を表現できたのだろうか。
別人格の活かし方をあらわした作品は、現代でもまだ少ない。
どこまで先をいっていた人なのだろうか。セカンドキャラクターをもつ
のが普通になる日がくるのかもね。
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コメント
人は、というより宇宙の全ては二面性を持っていることで成り立っている んだって。俺も臆病者なので、いつも心臓に毛が生えたような言動をとる。でも周りの皆さんはそれを見抜けない。どっちが本物の自分なのか、自分でもわからない。tomaso
投稿者: Anonymous | 2007年03月30日 21:14