とある自転車操業

山口晃の個展が中目黒でやっていたので見に行った。
人物画が生きているように見える。ラフなスケッチ調の
ものでも、人を感じる。
杉本博司の写真展も見る。写真を前にすると、思考が
できなくなる。
これは、あらゆるものが等価に写されているため、
意味づけの手がかりを失うからのように感じた。
普通、建物の写真をとる場合、背景に空が映っていた
としても、主役は建物であることは明快だ。しかし、
杉本氏の写真では、なにが主役かがぼんやりしてい
て、一瞬建物が主役に見えたとおもったら、次の瞬間
には空が主役に見える。
つまり、意味が多重になっているため、思考をまとめ
られず、強制的にぼんやりしてしまう。
話はかわるが、とある禅僧が、怒りを沈めるには、
手のひらをひらげ、目のまん前にもってくればいい、
という話をしてた。
そうすると、視点がぼやけ、5本の指が10本に見える。
このように、意味が多重になっている状態では、
まともな思考ができないので、怒ることすらできなく
なるという仕組みだ。
杉本氏の撮る写真は、禅画にすごく似ていて、
「間」が主役になっているように感じた。都会のなかで
更地は、「空き地」として、何もない土地、と意味づけ
られる。
しかし、杉本氏の写真のなかでは、空き地とビルの
価値が等価に扱われてしまう。
異なるものを等価にみる、フラットな視点が、意味づ
けがされた世界に対し、攻撃的なものを含んでいる
ように見えた。
![借力[CHAKURIKI]](http://www.chakuriki.net/images/header_title.gif)






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